1998年の秋も深まった11月、ドイツ人農業研修生のC氏(27歳)が来ることになった。
彼は本国ドイツでは造園業に従事していて、日本の農業や造園(庭園)に興味を持って来日。奈良県の施設で1年近く実習をした後に日本各地を訪問していて、我が家にホームステイした。
1年近く日本にいるので日本語は堪能なのだが、奈良県で周りにいたのが関西人ばかりだった影響で関西弁は堪能だ。しかし関西弁じゃないと通じないこともあった。
たとえば『奈良でどこかに行きましたか?』と言っても通じない。『奈良でどこ行って来たん?』と聞くと『ダイブツ!』などと答えてくれる。
この時以来、狸は関西弁も『関西語なのだなぁ』と思うようになった。彼と一緒にでかけた益子焼の陶器市では、栃木弁は全くと言っていいほど通じていないようだった。
栃木弁も彼には『栃木語』なのだった。
狸はドイツに何度か出張したことがあるが、最初の出張の時に教えてもらった『私はドイツ語を話せません』というドイツ語だけスラスラと言えるようになって、他のドイツ語はあまり覚えていない。
大抵のドイツ人は英語も堪能だった。2ヶ国語を操るドイツ人にとって3つ目の言葉を覚えるのは容易いことなのかもしれない。
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