120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

留学生の思い出〜その14

1997年11月に中国人男性が来ることになった。今回は学生さんではなく外務省アジア局中国課主催の中国東北地方政府青年幹部代表団という、物々しい肩書の方々。しかも我が家に同時に2名のホームステイだった。

C氏は中国語と英語、R氏は中国語とロシア語ができるという。日本の見聞の中にホームステイのプログラムがあった。

夕食までは我が家の近所の知人宅にホームステイしている、日本語堪能な中国人医師が遊びに来てくれて歓談。後は筆談+カタコト英語・ロシア語で結構楽しく話ができた(と思った)。

お二人にも科学館などを見てもらい先方から漢詩のお土産などを頂いてお別れした。

数年後C氏は栃木県某市の姉妹都市の副市長に、R氏は中央アジア某国の中国大使館にお勤めになったと聞いた。さすが青年幹部、出世されるのも早いね、などと言っていた。

ある日すずめに外務省から電話で『某市副市長が栃木県の姉妹都市を表敬訪問される。10分ほど予定を空けられるのでお会いしたいと仰っているが来れるか』とのこと。

大慌てで退社、すずめと市庁舎に行き待っていると、SP(黒尽くめの丈夫そうな男たちというイメージ通りの)に囲まれたC氏がにこやかに現れた。

すずめと狸のボディチェックをしようとしたSPを制して(今回は立派な通訳付き)、ホームステイが楽しかったこと、その後の中国での様子などを話してくれた。おみやげを頂き、今回はこちらからもお土産を手渡して本当に10分ほどでお別れした。

SPに囲まれた人と話をしたのも、SPの円陣の中で話をしたのも初めての体験だった。

昨年中国の留学生が来た時にこの話をしたらC氏のことを調べてくれて『とても偉い人です』と教えてくれた。

ホームステイボランティアをしていると色々な出来事があるなぁ、と実感した。

©Tanu記