120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

アイスランドでドライブ計画〜初日編

よし行こう!

とは言え目的地もなくただ単に走るだけでは楽しくない。では、どこを見ながら走ろうかな?あまり欲張ってもいけないだろう。

少し調べてみるとレンタカー屋さんは朝9時から夕方5時までの営業。初日の出発は朝9時くらいになる。

レイキャビクを出て北へ。アイスランド唯一の海底トンネルを抜けてアクラネス半島の灯台が新旧並んでいる岬へ。やはり端っこが好きかもね。

そこからは前回の訪問時にバスツアーで回ったゴールデンサークルを、もう一度訪れたいなぁ、自分たちのペースで。

この辺りでお昼ごはんを食べようか。観光地だから物価が高いかな?途中の小さな町のレストランを探すのも楽しみだ。

宿泊はシークレットラグーンがあるフルージルの町が良さそう。少し山の中の静かな町の夜に、オーロラが見えたら最高なんだが!

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この日の走行は250kmくらい。運転する時間は5時間くらいかな。走り出しの日としては、いい感じになると思う。

©︎Tanu記

海外ドライブ旅行に行こう〜アイスランド計画編

海外ドライブ旅行にいこう。

プランCではアイスランド南部を走ることになっている。

色々なホームページやガイドブックで調べると、10月中なら雪で閉鎖されたりすることもそれほどないらしい。

ただし、レンタカーは4WDを借りるのがベターだとのこと。

1日目。日本からアイスランドへの直行便はない。関空から標準的なフライトだと、ヘルシンキで乗り換えるフィンランドエアが接続が良い。それでもレイキャビクのホテルに入るのは、現地時刻の19時頃になるだろう。初日は夕食を食べて部屋に入ってシャワーして寝るだけ。

2日目は無理をせずに時差調整に使おう。レイキャビクの市内観光バスにでも乗るか。

3日目にレンタカーを借り出そう。2泊3日の予定で。保険はオールリスクで。すずめと二人なので小型車で十分だ。ATで良いや。今日はどこまで行こうか。昨年夏に観光バスで巡った、ゴールデンサークルを回ろうか。

4日目どこを走ろうか。南アイスランドの海岸沿いを走ってみたい。雄大な景色が見られるだろうか。

5日目レイキャビクに戻ろう。夕方にレンタカーを返して、旅の写真を見ながら夕食を食べよう。今夜は夜更かししても大丈夫。

6日目天気が良ければレンタルサイクルで街を走ろう。

7日目早朝にチェックアウト、ヘルシンキへ。ヘルシンキで乗り換えて関空

8日目朝関空に到着。楽しかったね。

昨年と同じ様に5日間休みを取れれば、こんな旅ができそうだ。

©Tanu記

1970年のこんにちは

本棚を見ていたら、この本を見つけた。

懐かしいなと手にとって見ると1970年はこんなにも昔だったのかとビックリする。そりゃもう48年も前の事だから、当たり前だけど。

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当時、狸は小学生だった。もう少し大きかったら、展示物の説明などがわかることも多くなって、より楽しかったかもしれない。

当時は千里ニュータウンに住んでいた。自分の部屋から万博会場がよく見えて、会期の前にはパビリオンが建設されていく様子をよく眺めた。中でも色と形が個性的なソビエト館は、日に日に出来上がっていくのが見られて楽しかった。

そんなところに住んでいて、また母親がボランティアをしていたものだから、当時はセキュリティーも緩かったのか関係者入り口から母の所に入らせてもらって、そのまま会場内を見学することも有った。

また、日本全国の遠きも近きも親戚がやってきて家に泊まっていった。その人たちが会場に出かけるときに、何度となくくっついて行った。

なので、ほぼすべてのパビリオンに入館しているはずだ。アポロが持ち帰った月の石が見られたアメリカ館も、会期の初期は全く並ぶ人がおらずスイスイ入れた。会期半ばの夏休み以降は数時間待ちだったと言うのに。

当時のことを思い出しながら、記念の品が出てきたら、追々ブログで紹介しようと思う。

©Tanu記

海外ドライブ旅行に行こう

『もう一度、海外で運転しよう。』

そう、思った。

最後に海外で運転したのはいつだったかと思い出したら、仕事で5年前の7月に行ったアメリカで運転したのが、そうだった。

仕事で行った国で運転することもしないこともあったが、今までどこで運転してきたかも思い出すと、右側通行の国がアメリカ、ドイツ、オーストリア、フランス。左側通行の国はオーストラリア。5カ国だった。

最近は仕事で海外に行くことはなくなり、プライベートで海外で運転したのはいつだろう?もう10年以上前だ。

(能力的に)海外で運転できなくなる前に、もう一度チャレンジ?したいと思った。

プランAは『ドイツのクルマに所以の場所を巡る』旅。アウトバーンを駆使して、ドイツを一周しようという壮大な計画。すずめに遠回しに「いきなりでは危ないのでは」と心配された。

では、プランBは『アイスランドのリングロードを一周する』旅。小さい国だがリングロードは1340kmあり、なんだかんだで10日間くらい必要。現役中はムリだね〜。

じゃあ、プランCは『アイスランド南部を2泊3日でドライブ旅行』これなら行けそうだね。ということで。

アイスランド南部を2泊3日でドライブする旅行を計画しよう。なぜアイスランドなのか?まず、前回行って感じたのがドライブマナーが良い。次にレイキャビクを出ると道が空いていて、久しぶりの右側通行ドライブも大丈夫そう。

どんなルートにしようか。また明日。

©Tanu記

思い出のクルマ〜COROLLA30

思い出のクルマの話である

免許を取得して、まずはクルマに乗りたかった。

当時家には親が乗っていたトヨタカローラがあった。樺色の4ドアセダンで全然おしゃれじゃないし、1300DXのATで全然速くはなかったが、親から『使わない時は乗っていいけど、ガソリンは入れておいて』と言われて、自分のクルマが手に入ったように嬉しかった。

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当時の写真が見当たらないので、トヨタさんのホームページから。このクルマは2ドアセダン。

父親は初めてクルマを買ったときから、当時では少数派のATを購入していて、その後もずっとATだった。狸はMT派で、MTに乗りたかったがまだまだ自分のクルマを買えるほどではなかった。

ともかく平日の父が帰宅してからの夜は(父は母に駅まで迎えに来てもらっていた)、のって良いことになった。近所の買い物や父の送迎は買って出て、少しは重宝がられた。

夜は先輩や友人と何となくツーリングに出かけて、深夜も開いているファミリーレストランでコーヒー一杯を頼んで居座って喋り、夜中に帰ってくる。

ちゃんと朝には起きて講義を受けていたのだからタフだったと言うか若かった。クルマで走っているだけで楽しく幸せ。正にそんな時期だった。

©Tanu記

白い彼岸花

今年の秋分の日、お彼岸の連休だった。

狸は土曜も月曜も仕事で出ていたので連休という気分は皆無だった。お彼岸と言うと、おはぎ、を連想するが、今日はちょっと違う話をする。

高校時代の友人が脱サラして庭師となり、軌道に乗ったのか西宮の関西学院大学の近所の良い所に、感じのいいガーデンアトリエを設けた。(話はそれるがウチの社宅のマンションの猫の額ほどの庭のお手入れも彼にお願いしている)

その彼が年に何回か『オープンガーデン』と称してガーデンアトリエを開放する。今回は陶芸家やボールペン画家の作品の即売も行われていた。入場料はもちろん無料で、飲み物や奥様お手製のスイーツも振る舞われた。

秋の庭に出ると、彼岸花みたいな花が咲いていた。でも赤でも黄色でもない?

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聞くと、白い彼岸花だそうで、彼がこの庭を借り受ける前から有ったそうだ。黄色と赤の彼岸花の交配から、白いものができることが有るらしい。ところどころ先祖返りして、薄い黄色になっている花や、薄ピンクのラインが入っている花があったりして興味深かった。

great oaks Home Page

見学はいつでも歓迎だそうだが、たいてい忙しくしているので一報入れてからどうぞ。

©Tanu記

思い出のクルマ準備編〜自動車教習所

もう一つ思い出したことがあった。

大学の生協には複数の自動車教習所のパンフレットがあり『スクールバスがある』とか『最新型のクルマで教習できます』などと宣伝文句が並んでいたが、狸がチョイスしたのは『最も安い教習料金で早く取得できる』ところだった。

スクールバスもないし、今と違って電話で予約。授業が早く終わったら『これから教習を受けたい!』などと電話しても大丈夫。

車種は分からなかったが、教習車は当時でも少し古めのディーゼル車だった。エンストしにくいので、発進が苦手な人でも乗りやすいと、教官は自慢していた。

教習所までは学校から15分位で、教習の後に授業に出ることも有ったので、モーターサイクルで通った。

教官は気のいいオッチャンばかりで、実技教習の時間は短く感じたものだった。実技は27時限、検定が中間と卒業時の2回、29回の実技の時間だった。

今にしてチョット残念に思うのは、29時限で何km運転したか記録しとけば良かったなぁ、ということ。最近になって自分がモーターサイクルやクルマで何km移動したのだろう?と思うことがあり、最初からメモっておけばなぁ、と。

当時は電話をしても予約が埋まっていることも多く、いつも受講生が溢れていたが、その後免許を取る人が減っていったため、10年ほど前に閉校してしまったそうだ。

クルマの免許は必需品じゃなくなったのだな、と、寂しく思う。

©Tanu記