120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

1・17

1月17日は29回目の阪神・淡路大震災の日。

震災から29年の時が流れた。

元旦から能登半島震災に見舞われた。

合掌。

 

当時狸家は栃木に住んでいた。

すずめと狸の両親は大阪北部に、狸の親戚は神戸に、たくさん住んでいた。

ちょうど狸は出張の夜行便で、オーストラリア中部の内陸の街へ向かっていた。

17日の朝、メルボルン空港で同行者から『神戸で大きな地震があったらしいよ』と教えてもらったが、乗り継ぎ時間が短く何も知らないまま目的地の田舎町に到着した。

今と違い、スマホもネットも無い時代だ。

ホテルに入ってテレビを見た。

崩れずに残った部分の阪神高速の上で前輪が宙に浮いた大型バスを、ヘリから空撮している。

アナウンサーが涙声で『火災が発生しています』と叫んでいるのを聞いて足が震えた。

すずめと狸の実家は大きく揺れた(震度5)わりには被害が軽微だった。

その日の夕食以降は仕事を休んで、手帳の住所録を頼りに家族・親族・友人に国際電話をかけまくった。

交換手が(当時、ダイヤル直通国際電話が使える場所ではなかった)『何度も日本に電話しているが何か有ったのか』と聞くので『大地震があり被害が出ているので家族、友人の無事を確認している』と言うと『OK‥今日本に非常に繋がりにくいが努力する』と言ってくれた。

それでも海外からの方が電話が繋がりやすく安否確認ができた。

神戸の叔母と従兄弟が住む家が倒壊したが奇跡的に命は助かった。

友人たちも『部屋の中がぐちゃぐちゃや〜』と言いながらも無事だった。

その後、神戸に住む狸の親戚が両親の家に風呂に入りに来たりしていたが、やがて復興し、今では街の傷跡も解らなくなった。

狸も大阪北部地震や台風停電を経験したが常に備えをしておこうと改めて思う。

©Tanu記