120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

留学生の思い出〜その10(第2話)

 

さて現れたV氏。

ベレー帽をかぶった気さくなおじいちゃん、という感じのひとだった。随分歳に見えたが、考えてみると当時52歳で今の狸よりも若かった。

長旅の疲れも見せず色々とお喋りをする。すずめと狸はA氏とS嬢との11日間で覚えたロシア語と、ガイドブックの絵辞典を総動員してなんとかコミュニケーションをとる。

小学校に上る前の、にゃんことおもちは、すぐに慣れて(当然)日本語でガンガン話しかけたり膝の上に座ったり。こどもの適応力は∞だなぁ。

話をしていると『自転車はあるか?』と聞いてきた。『あるよ。どうして?』『貸して。散歩に行ってくる』。『え〜っ! 日本語も英語も話せないのに?』『大丈夫、大丈夫』

早速出てきたロシア人の『大丈夫』。すずめが『全然大丈夫じゃない』と心配して、電話代の10円玉を何枚か(まだ携帯電話は普及まえ。公衆電話がたくさんあった時代)と、日本語でV氏の簡単な自己紹介と我が家の連絡先を書いたメモを持ってもらい、送り出した。

1,2時間ほどだったかな、のんびり満足気に帰ってきて『興味深かった』と。話をしていると『そんなに遠くまで行ったのか!』というところまで乗って行っていた。すごいな、V氏。

もちろんV氏、見てきたものを『あれは何だ、かんだ』と質問してきて、絵を書いたり身振り手振りで説明するのだった。

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

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