120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

1・17

昨日1月17日は24回目の阪神・淡路大震災の日だった。

阪神淡路大震災から24年の時が流れた。犠牲者の方のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれたにも関わらず前向きに生きておられる方々にエールを送りたい。

 

当時狸家は栃木に住んでいた。狸とすずめの両親は大阪北部に、狸の親戚は神戸にたくさん住んでいた。

狸は夜行便でオーストラリアの内陸の街へ出張に出た。17日、火曜日の朝メルボルンで同行者から『神戸で地震があったらしいよ』と教えてもらったが、乗り継ぎの時間が短く何も知らないまま目的地の田舎町へ移動した。

ホテルに入ってテレビをつけた。崩れず残った部分の阪神高速の上で前輪が宙に浮いた観光バスをヘリから空撮しているTVのアナウンサーが涙声で「火災が発生しています」と叫んでいるのを聞いて足が震えた。

狸とすずめの実家は、よく揺れた(震度5)わりには被害が軽微だった。着いた日の夕食以降は仕事がなかったので、手帳の住所録を頼りに家族に親族に友人に、国際電話をかけまくった。

交換手が(ダイヤル直通で国際電話をかけられる場所ではなかった)『何度も日本に電話しているが何か有ったのか』と聞くので『大地震があり被害が出ているので家族、友人の無事を確認している』と言うと、『それで、今日本に非常に繋がりにくくなっているが、繋げられるように努力する』と言ってくれた。実際、海外からの方が安否確認ができたようだった。

 

叔母と従兄弟が住む家が崩壊したが奇跡的に命は助かっていた。友人たちも『部屋の中がぐちゃぐちゃ』と言いながらも無事だった。

神戸に住む狸の親族が両親の家に風呂に入りに来たりしていたが、やがて復興し、今は神戸の街の傷跡も、ほとんど解らなくなった。

昨年大阪北部地震や台風停電を経験したが、備えをしておかないといけないなと、改めて思った。

©Tanu記