節分と言えば狸は恵方巻きより豆まきだ。
こどものころは、豆をまいた後に『歳の数だけ豆を食べる』のが待ち遠しくて、数粒しか食べられない時は『大人は(たくさん食べられて)良いなぁ』と思ったものだ。
今や何十粒も食べて良くなって、嬉しいやら何やら、だ。
ところで何で鬼に豆なのだろうか。
その昔、京の鞍馬山の鬼が京に降りてきて暴れたときに、毘沙門天のお告げによって炒り大豆を鬼の目に投げつけて退治したという説。
鬼の魔の目『魔目』に『豆』を投げて魔を滅する『魔滅」に通じるという。
では、なぜ生豆でなく煎り豆なのか。
豆を炒ることは『魔目を射る』につながる、あるいは投げた生豆から芽が出ると『魔目』から芽が出て育つので縁起が悪いとする説。
『渡辺さん』は豆まきをしなくても良いらしい。
源頼朝公の家臣である渡辺綱は、京の一条戻り橋で鬼の手を叩き切った逸話などがいくつもある強者で、その手をもとに鬼を威嚇するほど肝の据わった彼のことを鬼も恐れてやって来ない。で、渡辺家は豆まきはしなくても良いわけだ。
以前の職場に渡辺さんがいた。このことを聞いたら『こどもたちのために豆まきはやるよ』と言っていた。
頼朝公の時代からは渡辺さんも増えたに違いなく、誰が綱の直系か鬼もわからないだろうから、どちらの渡辺さんも豆まきをした方が良いのでは?
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