これは昨日の記事にすべきだったかも。
8月5日はHondaの創業者、本田宗一郎さんの29回目の御命日だった。
1991年8月5日、狸は業務で外部会議室に缶詰になっていた。昼食を食べに出かけたレストランにあったテレビの臨時ニュースで本田宗一郎さんの訃報を知った。
中学生の頃からHondaのモーターサイクルにあこがれて16歳で免許を取ってからは、ほぼ途切れること無く乗り続けた狸にとっては一大事でショックな出来事だった。
本田宗一郎さんは社内でも『社長』と呼ばれることを嫌い、部課長も『〇〇部長』と呼ぶのを禁止。社長も役員も専用室や専用食堂を持たず、みんなおそろいの白い作業着を着ていることは知る人ぞ知る、である。
いつかは本田宗一郎さんのお墓参りに行きたいと思っているが、その墓標も『本田』としか彫られていない。
『最近のHondaのクルマはHondaらしくない』と言われて久しいHondaのクルマ。『起した会社に自分の名前を付けたことを一番後悔している』という本田宗一郎さん。
近年のHondaの新入社員は本田宗一郎さんのことを知らない人も多いというが、天国の本田宗一郎さんは案外『それがいい』と言っておられるのかもしれない。
©Tanu記