120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

留学生の思い出〜その17

Mさんが来てから、しばらく留学生が来なかった。

1998年8月の初めに台湾の大学生のTさん20歳(女性)が4泊で来ることになった。大学で日本語を勉強し始めたところだという。

中国の人は何回か来たけど台湾の人は初めてだった。同じニイハオだけど、北京語とは違っていて、ちょっと話をすると『この人は中国人、台湾人、香港人』と判別できるのだそうだ。

台湾は繁体字だから日本の漢字も結構読めるのだが、日本の漢字は発音と意味が幾通りもあるので、そこが返って難しいのだと言う。

狸の会社の夏祭りがたまたまあって、お祭り気分を味わってもらったり(屋台も出るので)、益子高原鉄道の蒸気機関車に乗りに行ったりした。

将来はアメリカに留学して、その後日本にも留学して日本の企業に就職したいと言って帰国していった。

数年後Tさんからメールが来てアメリカに留学したことを伝えてきた。そしてそのまた数年後に日本の大学の大学院を受験するので日本に行きます、と連絡があった。

大阪で大学院生活を2年おくり、希望する日本の企業には就職できなかったが語学力を生かして貿易会社に努めたあと帰国して、今度は中国の、やはり貿易企業に転職して現在も活躍中。

若い頃から将来の夢がある人は強いなぁ、と感心することしきりである。

©Tanu記