N君が来てからしばらくは留学生が来なかったが、1996年8月と9月末の2回、中国の留学生が来ることになった。
今回来るのはYさんだ。Yさんは我が家の最初の留学生のGさんの従兄弟の女性で、日本の国立大学大学院の試験を受けるために、上海から来日した。
筆記試験と面接試験のために2回に分けて我が家にホームステイした。早めに来日して日本で日本語学校に通う人もいるが、それは費用が嵩むそうだった。
試験勉強をするための部屋と机を使わせて欲しいということだった。食事の時と、こどもたちと遊んでくれるとき以外は、一心に机に向かっていたYさん。
『日本語は難しいです』と流暢な日本語を話すYさん。今回の受験で合格すると学費や住居、日本での生活費も国費で留学してこれるという。
そんな条件が良いからだろう、残念ながらYさんは狭き門をくぐることはできなかった。
つい最近まで年賀状のやり取りをしていたが、それも途絶えてしまった。上海では新型コロナウイルスの影響はどうだろうか。チョット心配しながら彼女のことを思い出した。
(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)
©Tanu記