それは1996年正月休み最終日の朝だった。
狸が帰省の車の運転で疲れてぐっすり眠っていると「ねぇねぇ、ロシアが来るって!」と、すずめが、わいわい言いながら起こしに来た。
そういえば1995年の秋の『冬のホストファミリーボランティア募集』の中に『ロシア人家族』があった。
『珍しい国だし申し込んでもいいよ』と言っていたのだけれど、その後の連絡も無いし『ロシアは突然キャンセルになったりするよ』という話も聞いていて、すっかり忘れていたのだった。
当時の狸にとってロシアとは、冬はウォッカも凍る程に寒く、隕石がおっこちても誰も気がつかない程に広く、ツンドラの土の下にはマンモスの牙が輸出できる程に眠っている、とても不思議な、そして遥か遠い所のように思っていた国だった。
その遠い(実はウラジオストクなら飛行機でわずか2時間)国から、父48歳と娘18歳が11
日間も我が家にホームステイに来ることになったのだから、これはひょっとすると一大事なのかも知れない。
噂では栃木県初のロシア人交流だとか。
ともかく11日間もホームステイするし、彼らの訪日中の希望の中に『東京タワー・水族館・東京ディズニーランド・日本人との交流』と有ったので、それらを盛り込んで彼らが退屈しないように予定を立てることにした。
(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)
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