ゴミを自治体の規定通りに分けることではなくて『モノの道理や善悪の区別がつく』の、方だ。
先日、浜松まで出かけてきた宴会には入社3年目の若い人たちがたくさん参加していた。その彼らが『学生時代にやった馬鹿なこと』みたいなのを喋って大騒ぎしているのを聞いて笑ってしまった。
そう言えば狸も結婚したての頃は随分と馬鹿なことをしていたなぁ。友達と買いたての(今は絶滅した?)レーザーディスクで映画を夜中まで見て、見終わってお腹が空いたからと、屋台村までラーメンを食べに行ったり。
1歳半の孫は危ないことやマナー上してはいけないことは『やっちゃ駄目だよ』と何度も言い聞かされて分別がついてくる。
若者に比べて自分も随分落ち着いたなぁ、分別がついたということかな?と思っていると、そろそろサラリーマンを卒業しようかという先輩が、琵琶イチに挑戦したり、定例会と称して年に4回飲み明かしたりしている話をしているのを聞いて、結局『人間は仕事をしている期間か、こどもがいて親としてきちんとしていないといけない期間』だけ『分別がついている』のではないかな。
『分別がついているフリができる』のが分別がついているということなのだろうと分かってきた。
©Tanu記