狸の父はとても忙しい商社マンだった。月に何日かの休みの日に、庭のバラや庭木の手入れをしていたが、中でも蘭の鉢植えには手間をかけていた。始まりは、一鉢だったのかもしれない。やがて何十鉢にも増えて、知り合いや親戚に分けたりしていた。
リビングルームの一角を占める蘭は、真冬に花をつける。何とも言えない甘い香りが、記憶に残っていた。父が他界した後、母が世話をしていたが、だんだん数が減っていった。その母も一人で生活することが難しい歳になって、ホームに身を寄せるようになり、実家は無人になる。実家の管理をしていたが、陽が部屋の中にささないので鉢植えは部屋から出して庭に並べておく他なかった。やがて母も父のもとへと旅立ち、実家をたたむことになる。充分な世話をしてやれなかった鉢植えは、ほとんど枯れてしまっていたが、蘭が二株辛うじて残っていた。
葉も落として茎だけだった株を引き取って、父の書き込みがいっぱいの手引き書を読んで世話をした。だんだん元気になり2シーズン後には花が咲いた。昨年から春にも咲くようになった。ガーデンアーティストの友人に聞いたら、珍しいことだそう。
父母を思い出す、嬉しくそして少し寂しい甘い香りである。
©Tanu記