120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

京とれいん

夏休み中に、すずめと京都の着物屋さんに行く用事があった。大阪メトロの西中島南方で阪急の南方に乗り換えるか梅田まで出て阪急に乗るか迷ったが、確実に座って行けるし運賃総額も所要時間も変わらないから梅田に出ようと言うことになった。

梅田で電光掲示板をチラッと見ると、ちょうど乗れる特急と、少し待つが快速特急A『京とれいん』が表示されていた。これは『京とれいん』に乗る他は有り得ないな、と『京とれいん』をチョイス。

阪急電車では殆どない2ドア車だった。

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車内は和風になっていて無料Wifiも完備。座席と通路はゆったりの1+2列になっていた。座席のクッション部分以外の部分に畳があしらってあるのが面白い。向かい合ったクロスシート(固定)に屏風か欄間を意識した感じの仕切りがついている。

車内の照明は電球色イメージのアンバー。お盆休み中のためか車内はガラガラだった。

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快速特急Aは、なぜだか十三に停車しない。いや、止まるのだがドアが開かず乗降ができない。梅田を出ると淡路、次はもう京都の桂で、特急列車然としている。

座るなら車両の中央付近をお勧めする。車両は豪華な雰囲気だが乗り心地と車内騒音は普通の車両と、ほぼ変わらないからだ。狸は端の方に座ったが上下動が大きく、車輪からのノイズも普通と変わらず聞こえていた。

しかし梅田から烏丸まで50分ほどなのだが、この快速特急Aに乗れたおかげで旅行気分を満喫できた。

 追加料金は無料で、よく出かける京都行きが、チョット得した小旅行になった。

©Tanu記

五山送り火と送り火

8月16日、今年も昨年に続いて高校3年時のクラス会が京都の友人の家で挙行された。今年の参加者は東は名古屋、西は神戸から8名、それでも一人暮らしのマンションのリビングルームに入ると満杯だ。

昨年は直前まで夕立の雨が降っていたが今年は台風でちょっと心配された。しかし友人によると五山の送り火が天候を理由に中止になったことはないそうだ。調べると灯火管制による中止は有ったようで、平和はありがたい。

ja.wikipedia.org

夕方から集まって飲食しながら8時の点火を待つ。昨年は8時には出来上がっていて(見たのかどうかさえ)覚えていない、という友人もいたが、今年はどうにか?大丈夫そうだ。

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ここから『妙』『法』は残念ながら見えないが、個人的には、おもちが学生の頃に出かけていって近くで見たことがあった。

今年は鳥居形の近くのマンションかビルができたのか半分が見えなくなっていた。このマンションに古くから住んでいる住人によると、新築の頃は五山の送り火が全て見られたのだそうだ。

お開きがちょっと遅くなって、帰宅すると11時を過ぎていた。急いで我が家の送り火もこぢんまりと行って先祖を見送り、お盆休みも終盤となった。

©Tanu記

香川うどん県に行く

天体望遠鏡博物館は香川県にある。せっかく『うどん県』に来たのだから、うどんを食べて帰ろう。

博物館のボランティアの方に近所の美味しいうどん屋さんを聞いたところ、『竹屋敷』が良いよ、と教えてくれた。

この辺りは、四国巡礼88番目札所の大窪寺の近くで、博物館の前にもお遍路さんの休憩場所があった。

www.88shikokuhenro.jp

竹屋敷はぼたん鍋で有名な温泉宿でも有るということだった。なるほど広い敷地には観光バスも余裕で入れそうだ。

我々はレストランの方へ。ボランティア氏のお薦めは、たらいうどん。腰の強い麺が、たらいに入って出てくる。2玉分くらいあるんじゃないか?という量で550円だった。お腹いっぱい。

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この辺りまでは、引田インターから県道40号〜国道377号と、道は分かりやすいが国道は離合が困難な箇所があるので走行注意である。

途中に『五名ふるさとの家』という観光案内所?があって、そこでも農産物を売っていて食事もできそうだった。

お盆の帰省ラッシュ中なのでさすがに高速道路は混んでいたが、四国に入るとさほどでもない。混んでいたおかげで橋の上から渦潮がよく見えた。

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走行中なので、すずめが精一杯腕を伸ばして写してくれたが、ガードレールがじゃまになる。こういうときだけは背の高い車のほうがいいなぁ。

©Tanu記

天体望遠鏡博物館

香川県さぬき市にある、天体望遠鏡博物館に行ってきた。ここは日本で唯一の天体望遠鏡に関する博物館ということで、以前記事にしたかもしれないが、狸の持っている天体望遠鏡を寄贈したのだ。

『寄贈していただいてから展示するまで少々お時間がかかりますよ』と言われていて、そのうち見に行こうと思っていて夏になってしまったというわけ。

天体望遠鏡博物館 公式ホームページ

ボランティアによる運営なので、基本的には週末と、連休になる祝日が開館日だ。入館料は500円。ボランティアの館内説明が聞けるので頼んだほうが面白い。

収蔵されている望遠鏡は19世紀のものから最新に近いものまで、口径も4cmから60cmまでと多種多様だ。こちらのレベルに合わせて説明してくれるのでありがたい。

説明を聞きながらたくさんの望遠鏡を眺めていると、狸が寄贈した望遠鏡も1980年代のコーナーに説明入りで展示されていて、なんだか気恥ずかしい感じだった。

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説明や館内の案内で1時間ほどだった。天文書がたんまりの図書室で丸一日本を読んで帰る人もいるという。

かつては校庭だった駐車場には地元野菜の直売所もあって、すずめは野菜をたくさん買って帰った。美味しい野菜だった。

寄贈した物がなんとなく役に立っていて嬉しかった。イベントのある夜に再訪したいものだ。

©Tanu記

迎え火

昨日8月13日は盆の入りだ。

狸は真面目な仏教徒というわけではない。両親も昔の人の標準的な感じでそこまで真面目な仏教徒では無かった。

だが父は狸と比べると、時に真面目に家庭の行事として迎え火と送り火を毎年焚いていた。両親をともに見送った後は、すずめも積極的に参加してくれるので、狸家では毎年なるべく欠かさないように行っている。

実家がまだ有ったときは実家の玄関前で迎え火を焚いていた。こどものころ『この火を目印に、ご先祖様たちが帰ってくるんだよ』との父親の言葉に、家には仏壇があって『ご先祖様は何時もそこにいるよ』と教わってはいたものの、いざ『帰ってくる』と言われると、どこからともなくご先祖様たちが我が家に集まっている図を想像して、何となく背中に視線を感じながら恐る恐る、家の中に戻ったものだ。

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今は社宅住まいなので、玄関先に置いた小さな素焼きの植木鉢でおがらを焚くだけのささやかな年中行事だ。今年は台風10号の影響で風が強く、ベランダの端っこで風を避けながら、ブリキの小さなバケツで、となった。

帰ってくる?ご先祖様の御一行様に混じって狸の両親も、たまには帰ってきてくれないかなぁ、と思うような歳になった。

©Tanu記

ロシアのビザが無事に発行された

ロシアのビザが発行される予定の日。

大阪の領事館へ窓口が閉まる直前の12時ごろに、すずめと出かけてきた。領事館の前で、すずめを車からおろしてちょっと停まって待っていようと思ったら、警護の警察官が『(領事館の前の)ここの道は停まっていると周辺住民から苦情が来るので駐停車しないように』ということだった。

正門前には誰も並んでいなかったので、取り敢えず近所のコンビニかスーパーに立ち寄って待っていようと思って信号待ちをしていたら、すずめから直ぐに電話がかかってきて『もう二人分発券されたよ〜』。5分もかかっただろうか。

また領事館の前の道まで引き返して、すずめを乗せると、警護の警察官に『今日は先程まで凄い人の列で、ちょうど今しがた、はけたところで良かった』と言われたのだそう。すずめがビザ事務所に入ると、中の職員はネットサーフィンしながらのんびりしてたらしい。

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今回わかったのはビザの申請と受け取りは誰でもできそうな感じ。申請のときもJT●の人が何通も出していたし、受け取りも代理人でも大丈夫そう。身分証明の確認もなかった。

まぁ、これが無事にパスポートに貼られればOK。ロシアに入国できるはずだ。

©Tanu記

分別(ふんべつ)がつく

ゴミを自治体の規定通りに分けることではなくて『モノの道理や善悪の区別がつく』の、方だ。

先日、浜松まで出かけてきた宴会には入社3年目の若い人たちがたくさん参加していた。その彼らが『学生時代にやった馬鹿なこと』みたいなのを喋って大騒ぎしているのを聞いて笑ってしまった。

そう言えば狸も結婚したての頃は随分と馬鹿なことをしていたなぁ。友達と買いたての(今は絶滅した?)レーザーディスクで映画を夜中まで見て、見終わってお腹が空いたからと、屋台村までラーメンを食べに行ったり。

1歳半の孫は危ないことやマナー上してはいけないことは『やっちゃ駄目だよ』と何度も言い聞かされて分別がついてくる。

若者に比べて自分も随分落ち着いたなぁ、分別がついたということかな?と思っていると、そろそろサラリーマンを卒業しようかという先輩が、琵琶イチに挑戦したり、定例会と称して年に4回飲み明かしたりしている話をしているのを聞いて、結局『人間は仕事をしている期間か、こどもがいて親としてきちんとしていないといけない期間』だけ『分別がついている』のではないかな。

『分別がついているフリができる』のが分別がついているということなのだろうと分かってきた。

©Tanu記