120歳まで生きるとすると?

「まだ人生半ばじゃん」と気付いたいま、 120歳まで健康で退屈しないためには何をすればいいのだろう? そんなことを一記事500文字くらいで書いていこうと思います

我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その9

その餃子屋さんは確かにおいしい。

が、餃子しかメニューにないため若干不安も残る。またA氏・S嬢は箸が使えないのでフォークがないか聞いてみたが当然なくて、狸がコンビニまで走ってプラスチックのフォークとスプーンを買ってきた。

ロシア(ジョージア)には『ヒンカリ』という餃子の親玉みたいな食べ物がある。すずめと狸のロシア旅行記事に紹介している。それが有るからかもしれないが醤油とラー油で味付けをして結構おいしそうに食べていた。
明日は楽しいTDLの日。すずめのTDLに詳しい友達がガイドを買って出てくれることになった。雪もちらついてきて天気がチョット心配だけど『明日は快晴を祈ろう!』。
明朝は5時半起きなので、今夜は皆さんあまり呑まないで早めに就寝。

4日目の朝、5時半に起きる。朝食はお弁当をTDLの駐車場で食べる予定。運転手さんの狸だけ軽く食べる。予定より少し遅れて6時20分出発。さすがに日曜の早朝は空いていて2時間で着いた。

空いているのは道だけではなかった。TDLもガラガラで、いささか拍子抜けだ。
車の中での朝食も楽しい。にゃんこはさっさと食べ終わってパンフレットをじっくり見ているが、おもちは、のんびり黙々と食べ続けるのでA氏に笑われていた。

 

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

©Tanu記

我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その8

 

ロシア人ゲストの思い出ばなしの続き。

彼らは本当になんでも好き嫌いせずに食べてくれるので助かるのだが、昨晩のすずめが作ったボルシチと今日の”ボルシチ風スープ”(昨夜のボルシチを狸がリメイクしたもの)は、さすがにいっぱい食べてくれた。郷土料理が懐かしいと言うところ?

そうこうしているうちに夕方になり、すずめの友達が集めてくれた国際交流に興味がある人達の茶話会に出かける。茶話会ではA氏はず〜っとビデオを映している。

自己紹介タイムにA氏にも順番が廻る。いかつそうな外観とは違って結構A氏はシャイのようで、あがりながら話している。

まだ3日目なのに、ロシア語は全く知らなかったのに、不思議だがA氏の話は大体分かるような気分になっている。
茶話会の途中で狸は明日のメインイベントのTDL(東京ディズニーランド)に備えて、近所のホームセンターに「断熱グランドシート」を買いにいった。冬のTDLはとても寒いのだそうだ。
茶話会の後は軽い夕食を食べに餃子屋へ行く。宇都宮は”餃子の町”だけに美味しい餃子屋がいくつもあるのだが、行ったのはその中でも一番と言われている?ところ。

さて、中国生まれ日本育ちの餃子は、ロシアのお口には合うだろうか?

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

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ゴキ○リのニュース!?

昨日のお昼休み。

すずめの作ってくれたお弁当を、会社の食堂で広げて食べているときだった。食堂のテレビでは、いつものようにNHKのニュースが流れていた。

連日の新型コロナウイルスのニュースとともに経済のニュース。『…GDPはマイナス6.3%。ゴキブリも減少しました…』『えっ?景気が後退するとゴキブリも減るのか?そんなバカな?』と思いきや、実は内閣府が2月17日に発表した2019年10~12月期(第3四半期)の国内総生産(GDP)の速報値が前期比1.6%減になった。これが『五期ぶり』のマイナスになったというニュースだった。

ニュースの深刻な中身は、この際置いておいて『ゴキブリ』と『五期ぶり』は発音もアクセントも同じだったので、そこだけ聞こえてくるとびっくりする。

かつて、にゃんこが言葉を覚え始めたころに、クルマで『〜愛す〜♪』という歌詞が出てくる曲を流していたときに、にゃんこがキラキラ輝く目で『これはアイスの歌ね〜』と言ったのを、ふと思い出した。

耳に引っかかる音が増えてくると、どんどん喋れるようになる、そんなプロセスに気づいた時だった。

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我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その7

すずめの酒も強い従兄弟が偶然にも出張で近くまで来ていたので、A氏と一緒に酒でも飲んでもらおうと迎えに行く。彼が来るとA氏は嬉しそうに「ヴォートカ(ウォッカ)」を持ってきた。

日本酒も飲んでみたが、やはりお酒はウォッカが一番のご様子だ。すずめも入って3人で1時過ぎまで飲んで(18歳のS嬢は”子ども”だから先に寝なさいと言われ。。。)ようやくお開きになった。

彼を送って行くと雪が降ってきた。明日は積もるかも知れない、みんなで雪だるまでも作るか。おやすみなさ〜い。

3日目土曜日の朝は、起きると道はそうでもないが庭には結構雪が積もっている。こどもたちは朝食もそこそこに遊びに出てしまう。

今日はロシア人父娘に会ってみたいという、すずめの数名のお友達家族を呼んでポットラックランチをする予定なのだが、この天気で、みんなが時間通りに来れるかどうかチョット不安だな。
ちょうど時間になる頃に集まってきてくれた。奥さま達はS嬢を囲んで楽しくお喋りを始めた。お土産の(A氏手作り!)のハチミツを舐めながら飲む、ロシアスタイルの紅茶がなかなかうまい。

ロシアでは子どもは風邪をひくと体にハチミツを塗って毛布に包んで治すのだそうな。大人はウォッカを飲んでいるから、そもそも風邪なんかひかないのだそうな!

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

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我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その6

すずめが幼稚園までクルマでこどもたちを迎えに行く。

同乗したA氏が「こんな遠く(家から約13km)にしか幼稚園はないのか?」と聞くので、「近くにもあるけれど育成方針が良かったのでここにしたんだよ」と、すずめが言うと、A氏「???」。

ロシアでは近くの幼稚園に行って高校まで同じところに行く人が多いみたい。

<続SONY事件>
こどもたちを乗せて、すずめの友達(Tさん)の家に行く。ここにもビデオカメラがあり当然同じ質問が繰り返される(ここのはVHS-Cなのでテープそのものが違うが)。

Tさん(理系学部卒)の熱のこもった説明にA氏、一応納得する。

今回のホストファミリーを募集した団体のミーティングに出席する。他の家庭にステイしている台湾の女性が自己紹介した後、S嬢が彼女を見て、すずめに「キタヤーンカ?」と尋ねた。

関西人の、すずめには『来たやんか』と聞こえて、一瞬『誰がやねん?』と言いそうになったそうな。実はロシア語で『中国人(女性の)か?』と聞いていたのだった。

<続々SONY事件>
狸が会社から帰ってくると早速A氏がビデオが再生できない件を話にかかる。ロシア語・日本語・ジェスチャー・まんが・・あらゆる手段を駆使?して説明する。

ようやく納得してくれたようだ。(いや〜、ロシア人は実に忍耐強い)

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

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我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その5

すずめと歩く二人は、今日はそんなに目立たない。理由はもちろん、例の”ロシア・ファッション”をしていないからだった。
図書館から帰りの車の中で信号が青になったので、すずめが知っているロシア語で「パイジョン!(行こう)」と言った時、S嬢がA氏に「すずめったら車なのに『パイジョン』って言ってる」と言っているらしいのが聞こえたそうだ。そこで何ていうのかきいてみると「パィエハリー」だった。ロシア語で「(乗り物で)行こう」は違う単語なのね。

SONY事件勃発>
会社の昼休みに、すずめに電話をしてみるとA氏が持ってきた日本製の8ミリビデオ(テープ式のビデオですね)がTVに映らなくて困っていると言う。

多分ロシアは日本と記録方式が違うと思うけどSONYのお客様相談室に聞いてみて、と言っておく。(日米は”NTSC”と言う記録方式を使い、主に欧州の”PAL”方式と互換性が無く、そのままでは録画・再生不能)
すずめが電話で聞いたこと(記録方式が違うが外観は同じ・日本製でも海外向けに造られている)を身振り手振りで伝えたが、A氏は「すずめがメカに弱いから映らないのだ」と思ったらしく「じゃあ狸が帰ってきたらもう一度トライしよう」と言うことになった、と、その後に聞いた。

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

©Tanu記

我が家にロシア父娘がやってきた!〜ロシア人ゲストの思い出その4

ゴタゴタも収まって大宮駅を出て、みんなで車に乗り込んだ。

S嬢がシートベルトを左右逆に締めようとしているので届かない。すずめが世話を焼く。帰り道のファミリーレストランに入って夕食をとる。

雑食性の日本人とは違って何が食べられないのかわからないので、あれこれ取り混ぜて注文してみた。すると結構なんでも食べてくれて『フクースナ(とっても美味しい)』そうなので助かった。『ハラショー!』

やがて栃木の自宅に着いた。A氏は『外は大して寒くないが家の中は寒い』と言っている。寒い外に出かけるときは毛皮をまとい、家の中では暖房を良く効かせて過ごす、そんなロシアの人々の暮らしを少し見たように思えた。ロシアの公営住宅はみんなスチームの暖房が通っているみたいだ。

大騒ぎの一日も終わり、いよいよロシアとの11日間がスタートした。(しかし本当の大騒ぎは実はこれから始まるのである!)

翌日は会社だがフレックスタイムを活用し、こどもたちを幼稚園に送ってから出社するので、そのぶん帰りが遅くなった。

さて、その日の午前中にあった出来事は・・・

朝は8時頃に起きてきて、すずめと3人で朝食を取ったあと、農協の直売所(スーパー形状なのだが”直売所”と言うにふさわしい)へ行った。

ここまでは快調な滑り出しだ。 

(この記事は1996年の出来事を書いているため内容が古い場合があります)

©Tanu記